都内の中小企業向け法律事務所です。弁護士2名、事務スタッフ2名の4名体制。事務所名は非公開という条件で、実例としての掲載をご了承いただきました。
ご相談の入口は、議事録と契約書ドラフトにまつわる事務が、月40時間に達していたことでした。
最初にはっきりさせておきます。この事務所では、条項のリスク判断や交渉方針にAIを一切使っていません。AIが担当しているのは文字起こしや体裁の整形といった下準備だけです。法的な判断と最終確認は、すべて有資格者が行っています。本記事は業務効率化の事例紹介であり、法的助言ではありません。
40時間の内訳
まず、40時間が何に使われているのかを分けるところから始めました。
- 議事録の作成 — 約22時間/月12〜15本。1本あたり45〜60分の打ち合わせ
- 契約書ドラフトの作成 — 約14時間/月6〜8件。秘密保持契約書、業務委託契約書、利用規約の改定など
- 関連する事務 — 約4時間/ファイルの保存、表記揺れのチェック、体裁の調整
担当は2名。パラリーガルが初稿と論点整理を下準備し、弁護士が大幅に手直しするという流れでした。つまりこの40時間は、事務スタッフの時間であると同時に、有資格者の時間でもあったということです。
受発注メールの処理に毎日180分かかっていた会社でも、最初にやったのは同じ分解でした。ひとかたまりの「事務作業」のままでは、どこを機械に任せられるか決められません。
重かったのは作業ではなく、録音の往復
分けてみて分かったのは、いちばん時間を食っていた工程が「書くこと」ではなかったという事実です。
議事録で最も重かったのは、録音を聞き返しながら論点を整理し、箇条書きに起こす作業。契約書では、過去の類似契約から条項を切り貼りし、個別の条件を差し替える作業でした。
そして両方に共通していたのが、文脈を確認するための再生と一時停止の反復です。「あの話は、どういう流れで出たか」と戻る。少し進めて、また戻る。この往復が積み上がって22時間になっていました。タイピングが遅かったわけではありません。
この構造は珍しくありません。EC商品ページの公開に5日かかっていた佐賀の小売店でも、実作業は4〜5時間しかなく、残りはすべて待ち時間でした。時間の正体は、たいてい表面に見えているものと違います。
AIに渡したのは作業、人が持ち続けたのは判断
使ったのは、法人向けの文字起こしツール、学習に使われない設定にした生成AI、そして事務所標準の条項テンプレート集の組み合わせです。特定の製品名は伏せます。組み合わせ方のほうが本質だからです。
AIに任せたのは、次の4つに限定しました。
- 録音の文字起こし
- 発言からの要点の抽出
- 箇条書きの体裁整形
- 事務所の雛形への取引条件の流し込み(一次ドラフトの作成)
いずれも、文章を構造化して清書する作業工程です。ここから先には渡していません。
人(有資格者)が必ず行う工程
この線引きは、EC商品ページの案件で「作業は任せ、判断は残す」と整理したものと同じです。業種が変わっても、置き場所は変わりませんでした。
自社の業務でどこまでを機械に渡せるのか、線引きに迷ったときは、まず現在地を確かめるところからで構いません。60秒のAI成熟度診断は無料です。設問6つ、その場で結果が出ます。
顧客の情報を、外に出さないための二重管理
士業にとって最初の関門はここです。ご相談の時点でも、いちばんの心配は守秘義務でした。
採ったのは、プロンプトに投入する前のマスキングです。固有名詞は「甲社」「乙社」に、金額は「○○万円」に、機微な事実は抽象的な記号に置き換えてから下書きを生成します。そして文書に書き出したあとで、人の手が実際のデータに戻す。この二重管理にしました。
あわせて、入力した内容がモデルの学習に使われない設定になっているかを、契約と管理画面の両方で確認しています。導入前にいちばん神経を使ったのが、この確認作業でした。
何を入れてよく、何を入れてはいけないか。この線引きの考え方は生成AIに入れていい情報・ダメな情報に整理しています。サービスが安全かどうかと、自分たちの運用ルールをどう決めるかは、別の問題です。
やめたこと、つまずいたこと
やめたのは、非定型契約のドラフト生成です。合弁契約や複雑な開発委託のように例外条項が多い案件では、AIに意図を説明する時間のほうが自分で書くより長くなりました。確認の手間も増えます。結果、定型・準定型の類型に限定しました。
つまずいたのは2つです。
1つ目、要約が綺麗すぎました。初期の議事録は、整いすぎて重要なニュアンスが落ちていたのです。クライアントの感情のこもった要望や前置きが消えてしまう。そこでプロンプトに「決定事項」「留保事項」「発言ママ」を分けて書くという指示を足して解決しました。
2つ目、マスキングが面倒でした。伏字にする作業そのものに、現場の抵抗があったのです。これは置換の辞書とルールを統一することで解消しました。手順が決まっていないと、人は面倒に感じます。
架空の条文が出たとき、どこで止まったか
ここは正直に書きます。日本法上存在しない概念が、下書きに混入したことがあります。生成AIが、もっともらしい誤りを出す現象です。
ただし、すべて有資格者の一次レビューの段階で検出され、排除されました。レビューを通らない下書きは事務所の外に出さない。この流れを徹底していたため、対外的なインシデントはゼロ件です。
この結果が意味するのは「AIは安全だった」ということではありません。誤りが出ることを前提に、それを止める工程を人が持っていたということです。順序が逆だと、同じ誤りが外に出ます。
8時間の中身と、浮いた32時間
いま残っている8時間は、次のように使われています。
- 2時間 — 生成された下書きと、録音の要点との突き合わせ
- 5時間 — 弁護士による条項のレビュー、リスク判定、文言の練り直し
- 1時間 — マスキングの解除と、最終送付前の確認
作業が減ったぶん、残ったのは判断の時間だけになりました。
浮いた32時間は、納品までのリードタイム短縮(即日から翌日での納品)、新規相談の受入枠の拡大(月3件増)、そして所内の残業削減に回っています。
品質面では、誤字脱字、条項番号のズレ、定義語の揺れといった単純なミスが激減しました。一方でAIは一般的な落とし所を出しがちなので、依頼者の利益を守る攻めの条項は人が加筆する体制にしています。
起案者は、100%人である
導入前にあった心理的なハードルは2つでした。「AIに頼ると法的な品質が落ちるのではないか」。そして「誤りがあったとき、責任は誰にあるのか」。
この2つを、次の一文で整理しました。
AIはあくまで、超高速なタイピスト兼アシスタントである。起案者は100%、有資格者である。
責任の所在を人に固定したことが、前に進めた理由だと思います。そのうえでチェックリストを強化しました。道具の性能の話ではなく、体制の話です。
振り返っての反省もひとつ。「どの契約書ならAIの下書きを使ってよいか」の線引きを、先に決めておくべきでした。初期は手探りであらゆる案件に適用しようとして、かえって非効率が生じています。定型・準定型のみを対象とし、紛争性や新規性の高い案件は最初から対象外とする。この基準が最初からあれば、2.5ヶ月かかった定着はもう少し短くなったはずです。
現場の声も添えておきます。パラリーガルの方からは「録音を聞き直す精神的な負荷が劇的に減り、他のサポート業務に集中できるようになった」。弁護士の方からは「白紙から書くのと、60点の骨子がある状態から直すのとでは、思考の疲労度が全く違う」。
所内の稼働は週2〜3時間ほど、完全運用までは約2.5ヶ月かかりました。プロンプトの調整、マスキング手順書の作成、出力の検証は、いずれも所内の方が手を動かしています。自社でどこまでやるかの考え方は内製と外注の分岐点に、費用の考え方は4つのBOXに分けた記事に書いています。
なお、同じ進め方をすれば同じ結果になるとは限りません。扱う案件の型も、所内の体制も事務所ごとに違います。まずは1つの業務、数ヶ月から試すことをおすすめします。
本記事について。掲載にあたり、事務所名・個人名は非公開とし、クライアント名、具体的な係争・取引の内容は記載していません。本記事は業務効率化の事例紹介であり、法的助言ではありません。契約内容の適否、法的リスクの判断、AI利用の可否を含む個別のご判断は、必ず有資格者にご相談ください。
よくある質問
AIが作った契約書の下書きを、そのまま使ってよいのですか?
この事務所では、AIが生成した下書きをそのまま外部へ出すことを禁止しています。条項の採否、文言の修正、取引背景を踏まえた有利・不利の判断、クライアントへの最終提示は、すべて有資格者が行う工程として残しました。条項のリスク判断や交渉方針にAIは一切使用していません。AIが担当しているのは文字起こしや体裁整形といった下準備の作業であり、法的な判断の代わりになるものではありません。最終的な法的判断と確認は、必ず有資格者が行う必要があります。
顧客の情報を、外部のAIサービスに入れることになりませんか?
そのまま入れない運用にしています。プロンプトに投入する前に固有名詞を甲社・乙社に、金額を伏字に、機微な事実を抽象的な記号に置き換えてから下書きを生成し、文書に書き出したあとで人の手が実際のデータへ戻す二重管理です。あわせて、入力内容がモデルの学習に使われない設定になっているかを、契約と管理画面の両方で確認しています。どこまでを入れてよいかの線引きは、サービスの安全性とは別に、事務所自身のルールとして決める必要があります。
どんな契約書なら、AIの下書きを使えますか?
この事務所では、秘密保持契約書のような定型・準定型の類型に限定しています。合弁契約や複雑な開発委託のような非定型の案件は、例外条項が多く、AIへ指示を出す時間のほうが自分で書くより長くなったため、途中で対象から外しました。紛争性や新規性の高い案件は最初から対象外とする、という線引きを先に決めておくことをおすすめします。なお、同じ進め方をすれば同じ結果になるとは限りません。
任せる範囲を、決めるところから。
どこまでを機械に渡し、どこから先を人が持つのか。その線引きは業種ごとに違います。まずは自社の現在地を、60秒で確かめてみませんか。